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inochi学生・未来フォーラム2017 その④

こんにちは。またまたななみです。

前回のインタビューについて続きを書きます。

(前回の記事はこちら↓)

wakazo-online.hatenablog.com

 

私は、inochi学生フォーラムに参加し認知症の社会課題に向き合い続けてきたチーム「うえしのぐ」の二人に是非読んでもらいたいWAKABLOの記事がありました。

それがこちら↓

wakazo-online.hatenablog.com

この記事ではWAKAZO.ONLINEに投稿された次のアイデアからさらに考察しています。

2025年の社会は、「忘れる恐怖」から解放される社会

by Tatsuya Yamada  

認知症では 「自分の研究、自分が作った会社、昨日会った人、コミュニケーション、家族」 これらを忘れてしまう。 2025年の社会は、認知機能向上の薬や、昨日自分にあったことを思い出すことができるITテクノロジー、忘れてしまってもサポートがあり認知症そのものが受け入れられる社会をつくっていたい。

https://wakazo-online.com/posts/detail/362/

(↑実際の投稿はこちらから)

シャンクスによると...

認知症には聞くところによると段階があるようです。

本人が苦しいのは、自分の記憶が一部なくなっていることを自覚できる状態のときだそう。

記憶が明瞭なときと、忘れていることさえも忘れているときは認知症そのものを自覚していないので、苦しくはないということでしょうか。

 

だとしたら、認知症の苦しみは多くが本人にとっての苦しみというよりは、周りの人にとっての苦しみだと言えそうです。

 (中略)

このときに、本当に問題になるのは、自分のモノではなく、他者関係性なのではないでしょうか。

 

議論が他者やコミュニケーションの問題にまで行き着いたところで、私たちが次に考えることは、いかにして忘れられるべきか、いかにして忘れられながらもその人との関係を続けていくべきか、ということです。

 

この記事を読んでもらい、インタビューの最後にうえしのぐの二人に

「いかにして忘れられるべきか、いかにして忘れられながらもその人との関係を続けていくべきか」

に対する考えを聞いてみました。

 

髙尾:家族に忘れられるという経験は想像を絶する辛さを伴います。小さな頃から大好きだった祖父に「誰?」と聞かれる度に、悲しみや怒りや、様々な感情が綯交ぜになって何度も泣きました。しかし認知症の方の性格が、丸ごと変わってしまうわけではありません。元々ユーモアのある性格だった祖父は今でも変顔をして笑わせてくれますし、何も変わっていないかのように感じたことが何度もあります。忘れられることは辛いですが、私は何度でも「あなたの孫です。」と自己紹介をします。何度でも初めて彼に出会います。
認知症になったからこそ初めて出会う祖父の一面に驚き、楽しい時間を過ごしています。

 

中本:私の祖母は日々の出来事や言ったことはすぐに忘れてしまいます。同じことを何度も繰り返します。しかし、私はまだ顔や名前を忘れられたことはありません。祖母は何年間も毎日続けていることも忘れていません。何度も同じ話をするのはその話が祖母にとってとても大切なものだからだと思っています。私たちが出来ることはその大切なものを否定することではありません。その大切なものを一緒に守っていくことです。毎日の介護の中でこの気持ちを常に持ち続けるのはとても大変なことですが、私は祖母の大切なものを一緒に守り抜いていきたいですし、守り抜ける社会にしていきたいです。

 

さすが、体験談による説得力はすさまじいですね。


この子たちは関西テレビの密着取材を受け、Yahoo!ニュースでも取り上げられているほどです。↓

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171128-00000009-kantelev-l27


現在認知症患者は約400万人のも上ります。さらに、この数は増え続けます。認知症と向き合う彼女たちが日本に、そして世界に大きな変革をもたらすことでしょう。彼女たちの将来が楽しみでなりません。

 

WAKAZO.ONLINEには認知症の課題に危機感を感じ投稿されたアイデアがまだまだたくさんあります。ぜひサイトをのぞいてみてくださいね。

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