祝100記事。WAKAZOだって、歳を取る。
どうもこんにちは。
お久しぶりです、シャンクスです。
ついにWAKABLOの記事が100記事にまで到達しました。
そして僭越ながら私が記念すべき100記事目を書かせてもらうことに相成りました。
今までご覧いただいているみなさん、ありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします。
さて、100記事目で何を書くか。
私なりにいろいろ考えてみたのですが、なかなか難しいものです。
アイデアももう1,500投稿まで来ていて、コンペティションも進んでいて、いろんなところではオフラインイベントも行われていて……。
これらは方々でWAKAZOたる人たちが若者の立場にたって行動している結果です。そこには今わたしたちは若者であり、WAKAZOに携わっている間は若僧である、という前提があります。
でも、間違いなく私たちは年を取るし、ものの考え方、捉え方も変わるでしょう。今WAKAZO(30歳未満)としてWAKAZOに携わっている人も、万博が行われる2025年には30歳を越えていることも十二分にあり得ます。
そう考えたらば、わたしたちは自分の考えが変わっていくことを念頭に置かねばならないように思います。
そこで今回は原点に立ち戻って、若者と若者でない人の違い、歳を取るとはどういうことなのかを考えてみたいと思います。
私たちは現在に生きることしかできません。
そして、そのときに年老いた人と若い人が違うのが、先に広がっている(と思われる)未来の多さと、過ぎ去った(と思われる)過去の多さでしょう。
人生のピークらしきものが先にあると考えるのが若者で、それが後にあると考えるのが若者ではない人でしょう。
若者はまだ将来が長いと思っています。今までと同じような10年、20年が同じ様この先にもあると思っています。
でも残念ながらそうはいきません。
そのことを弁えているのが若者ではない人ではないでしょうか。
私たちはこの世界に生きている以上、時間という形式から逃れるわけにはいきません。
産まれたときから時計の針に全身を貫かれています。
時の流れには主観的なものと客観的なものと二つあります。
客観的なものは同じように流れているように思えますが、主観的なものはどんどん短くなっていきます。
今まで生きてきた時間でその先の時間をはかると、必然的にどんどん主観的な時間は短くなっていきます。
ジャネーの法則というものがあります。
歳を取るほど時間の流れが早く感じられるということを説明したものです。
人生を体感時間で計算するとします。
すると、5歳の人にとっての一年は、1/5ですが、50歳の人にとっては1/50です。
これだけみても、10倍差。
そして、人生を80年であると仮定したら、人生の折り返し地点は19歳だそう。
WAKAZO(30歳未満)とはいっても、もう半分以上終わっている人も多くいるということになります。
さて、だからこそ若者をずっと大切にしなきゃ、いろんなことをしなきゃ、というのはもちろん一理ありますが、老年の楽しみを忘れてはいけません。
若者は「行為」でものを見やすい時期だとすれば、若者でない人は「存在」でものを見やすい時期でしょう。
若者はなにかを為したから偉い、のように考えがちです。ですが、なにかを為さずとも人のことは認められてしかるべきです。
そこにいてくれる、それだけでいい、それだけで素敵なことだと、その存在を関知するということ、これがやっと老年になるとできてくるのではないでしょうか。
そのため、いつまでも若さに固執するのは、老年の楽しみを、人生の一つの味わい方を遠ざけているようにも思えます。
それぞれの年齢期によってそれぞれの楽しみを見出だしたいものです。
では、最後にヴォルテールの言葉を引用して締めくくろうと思います。
「おのが年齢にこもる英知を具えねば、年齢にこもるわざわいがことごとく生ずる。」
ありがとうございました。
これからもWAKAZOをよろしくお願いいたします。