優しさは不審者と紙一重
こんにちは!優花です。
皆さんが今住んでいる場所は都会と田舎のどちらに分類されると思いますか?
都会と田舎。
この2つは対比して語られることが多く、「都会あるある」や「田舎あるある」のようなものがたくさんありますよね!
ちなみに私が住んでいる場所は田舎で、田舎あるあるに挙げられているものの大部分に共感することができます(駅の無人改札や深夜に点滅しだす信号などなど…)
さて、前置きが長くなりましたが、今回ピックするアイデアはこちらになります!
優しさと不審者は紙一重
by ザッケローニ都会に住む所以かも知れないが基本的に他者に興味を示す人が少ない。 私も一端を担っている節もあるし、実際いきなり話しかけられたら不審者を疑う。 僕の場合は小学校教育の知らない人に声をかけられたら逃げなさい、が発端である気がする。 この認識故に「いきなり人に話しかける人=不審者」という認識を持ってしまった人が増えた気がする。 これは話しかけられる場合だが話しかける場合はどうだ。 それは例え助けが必要なのだろうかと疑う人が目の前にいる場合でも働いてしまい、自分がされて気にすることは基本的他人にしないので、やはり他者に声をかけることに対する抵抗は大きい。 このような社会認識は改められるべきであると考える。 高齢化が進むにあたり必ず今までにも増して道端で助けを必要とする人に遭遇する確率は上がるだろう。 今週のテーマに則るなれば「優しさを素直に受け入れる事ができる社会」であろう。
↑実際のアイデアはこちらから見れます!
今回のブログの前置きで「都会と田舎」について話したのは、このアイデアの
都会に住む所以かも知れないが基本的に他者に興味を示す人が少ない。
という部分に関連しています。
都会に住んだことがないので実際のところはわかりませんが、一般に「都会では他人に干渉することを好まない」とはよく言われています。
逆に「田舎では他人への関心が強い」はどうでしょうか。
これは、あくまで私の経験上ですがある程度の信憑性があるように感じます。
身近な例だと、学校帰りの道でウォーキングや農作業中の方とすれ違いざまに挨拶をすると、
ほぼ確実に話しかけられます。
「おかえり〜」
「どこの学校通ってるん?」
「家はどこらへん?」
などがよく繰り広げられる会話の内容です。
ですが、ここで少し冷静になってみると
これって相手の表情や声のトーンが少し違えば完全に不審者ですよね。
「見ず知らずの相手にいきなり学校名や住所を尋ねられた」
とだけ聞けば、誰でも不審者を疑うでしょう。
それでも私が話している相手のことを不審者だと認識しないのは、その人たちが善意で話しかけてくれていることが表情や様子から明らかだからです。
少し前に、学校や警視庁から配信される防犯メールで「不審者」だと認定される基準が低すぎると話題になりました。
挨拶しただけ、遊んでいる場所について注意しただけ、下校途中の児童を追い越しただけ…など、これだけの情報では不審者だと言い切ることはできないだろうというような案件がいくつか見受けられました。
その人物の態度や口調などにもよるとは思いますが、安心して挨拶もすることができないような社会になってしまうのは寂しいですね。
このアイデアを投稿してくださった方もおっしゃっているように、これからの日本ではますます高齢化が進み、道で困っている人に遭遇する機会が増えるでしょう。
また、災害などで避難が必要となったとき、一人暮らしの人が家で取り残される、なんてことも考えられそうです。
これらの場合に、誰もが他人に対して無関心、というのはやはり困ります。
地域のつながりが日頃から深められていれば、このようなケースも減らせるのではないでしょうか。
自分も含め、身の回りの人にもっと関心を持ち、助け合うことのできる社会を実現できるよう努力していこうと思いました。
今回のブログは少し真面目に、そして長めに書いてみました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
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