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金髪の時代よ、来たれ

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どうもこんにちは、シャンクスです。

 

今回扱うのは、元赤髪の私としてはとても興味深いアイデアです。
(シャンクスというのは、髪を赤に染めていたときにONE PIECEの登場人物、赤髪のシャンクスから借用して付けられたニックネームなのでした。)

 

 

 

金髪welcome社会

by 蔦谷友美 

金髪も個性。

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ここで前提とされているのは、金髪が認められない社会です。個性を称揚しておきながら、「金髪」という個性は認められない社会の存在です。
このアイデアはそれに対するアンチテーゼであると読めるでしょう。

 

 

 

以下で考えたいのはなぜ髪を染めるのか、そしてなぜ金髪が認められないのか、です。

 

 

私たちはなぜ髪を染めるのでしょうか。


私の思いつくところでいえば、

 

・おしゃれのため
・仲間意識を持つため
・意思表示のため

 

 

こんなところでしょうか。他にもありそうです。

 

染髪も服装と同じく、見た目を変える行為ではありますが、脱げばおしまい、外せばおしまい、というようにはいきません。
伸びるのを待つ必要があります。
その意味で、ピアスやタトゥーに近いものと言えそうです。

 

そしてピアスやタトゥーに近いのであれば、
元に戻るのに時間がかかるのであれば、
現状への反抗ということになります。

 

それは仲間意識を持つことにもなりますし、意思表示としての側面も強くなるでしょう。

そして、それを非難する人が多ければ、またそのことが仲間意識を育みます。

残念ながら反抗という形を取る以上、これらはいままであまりいい印象を与えてこなかった。


なんにせよ、仲間意識や意思表示というのが、社会への反抗と密接に結びついているためです。

 

 

私たちはおしゃれとしての染髪(タトゥー、ピアス)と意思表示としての染髪(タトゥー、ピアス)を分けて考えなければなりません。

 

峻別できるものではありませんが、両方の側面があることを知るべきです。
前者であればその人が楽しんでいるものとして見ていればいいけれども、後者であれば、そういう訳にはいかない。
何に不服があるのか、何を表現したがっているのかをちゃんと汲む必要があります。

 

そこで十把一絡げに「反抗するな」といって校則を厳しくしたりするのは馬鹿げています。
無理に校則を守らせることよりも、なぜ校則を破るのかを考えるのに労力を費やす方がずっと生産的です。
ただただ守らせるだけの校則は、校則のための校則と化しています。馬鹿です。

 

(かつては「自由な校風」が売りだった出身校のことを思い出し、少し熱が入ってしまいました。)

 

 

 

 

さて、金髪はなぜ認められないのでしょうか


ルールだから、という理由は吟味にも値しないとして進めます。

 

「身体髪膚之を父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなり」という言葉、考えが根付いているせいでしょうか。

 

生まれた時から茶髪寄り、金髪寄りの友人がいましたが(日本人です)、それも黒染めさせられたりすることがあったようです。
そしてまた他方で、金髪を非難する人たちが平気で白髪染めをしていたりします。


これらを鑑みると、必ずしも「身体髪膚……」の考えのせいとは言えなさそうです。

 

 

上で書いたように反抗と結びついているだけでなく、統一感が大切にされていることが関係していそうです。

おそらく遡れば戦時中の教育と関係があるのだろうと思いますが、ここでは深入りするのはやめておきます。

 

見た目が統一されているのが良し、とされているとして、それは今の時代にはそぐわないような気がします。
中身があるかどうかはおいておいて、体面上は「個性」が大切だとされている世の中です。

 

多様性も様々な文脈で大切だと言われていますし、人と人の違いを塗りつぶすような考えはどんどん少なくなっていくでしょう。

 

日本ではアニメが盛んです。アニメには様々な髪色のキャラクターが登場します。
日本で万博が行われるとなれば、アニメの要素を期待する外国人の方もいらっしゃると思います。
今後はさらに2次元と3次元という分け方でアニメや現実を捉えきれなくなるでしょう。
VR、ARなどもどんどん発達しています。

 

 

アニメのようにさまざまな髪色の人がそこらじゅうを行き交うような万博、ひいては社会になればいいですよね。